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NO. 25 町中ゼミナール

第8回喜多方市町中ゼミナール、無事終了しました。当社では2回目から参加しております。

町中ゼミナールとは、各商店が自社の技術等を、一般の方々が体験でき、自社の宣伝につながるよう、

模様されている企画です。

当社では、何度か参加者に体験して頂いた物が、花台でした。基本的には当社工場で、加工した材料を組み立てます。これだけだと簡単にできてしまいます。当社では、物つくりの原点である、綺麗で、安全で、気持ちよく使っていただけるよう、サンドペーパーで磨いてもらいます。

私共の仕事は、家具に触れた時の気持ちのよさ、どうしたらそのように出来るのか、それを伝え体験してもらう事を、一番と考えております。

今回は、ホームセンターで入手出来る素材で、ベンチつくりをして頂きました。一回の講習で4名の予定でおりましたが、倍の8名で二回行いました。毎回の事ではありますが、今回はなにを作るかと、考える事が一番大変です。当社ではゼミナール参加者の為の、特別メニューになっており、あくまでも参加者しか入手できない物になっております。参加者の方々お疲れさまでした。

 

 

2018年10月28日

NO.24  相馬野馬追振興競馬大会

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10月21日快晴の中競馬大会が行われました。

出場頭数43頭、予選7レース、着外2レース、決勝3レースが行われました。

なーんだ草競馬と思われますが、今回で第71回目凄いですね。

出場するには、一か月ほど前より早朝よりの練馬に入ります。みんな偉いですね。

我々で際、いきなり走ったり、急激な事をするとケガをします。サラブレッドとは言え、同じ事は言えると思います。草競馬とは言え、ジョッキースタイルは競馬場と同じです。手綱裁きもプロ並みです。今回は残念な事に、事故がありましたが、怪我をされた方には、お見舞い申し上げるとともに、早い回復をお祈り申し上げます。お疲れ様でした。

 

 

2018年10月22日

NO. 23 相馬野馬追無事帰還しました

27日より30日までの4日間、小高郷は出陣に当たり、墓前祭という行事がある。相馬家菩提寺である同慶寺に於いて、歴代藩公に武勲を上げ、無事に帰還できるよう願う物である。

28日宵乗り、いよいよ出陣である、早朝6時より出陣の準備にはいる。先ずは馬装からである、馬にブラシをかけ綺麗にします、1年ぶりの事で緊張するものである。馬巾、鞍、腹帯、三具、障泥、鐙、と古式乗ってしっかりと仕上げて行く。本年は兵庫よりの友人の出陣もあるので、2頭分の馬装である。馬が終わると自分の支度である、小高郷出陣の支度は陣羽織での、紋付袴に陣笠と言う正装である。

ちなみに宇多郷北郷は甲冑での出陣である。

馬事公苑8時頃の出立である、私の役は郷大将付き軍者と言い、今で言う課長という所である。まずは郷大将宅へ御迎に行き、これより3日間付き添い式を取らなければならない。

郷大将今村忠一邸を8時半出立し、予定道理小高神社へ到着、その後御発輦の式典後、乗馬にて町へと繰り出す、小高神社の御下がりである。私も今村邸より1年ぶりの乗馬であったが、なんとか感を戻し無事原町へと駒を進める。

つづく

2018年08月01日

NO. 22 野馬追小高郷出陣式

15日小高郷出陣式が行われた。

今週は14日から3日間の3連休となりました。

野馬追とは言っても、小生は喜多方市に住んでおります。喜多方市は365日祭りのある町と言っています。14・15日はレトロ横丁と言うイベントがありました。14日正午より出かけ、骨董品・レコード・車・農機具・発動機・お化け屋敷・露店など、当社も協賛しているので、チョット覗き見してまいりました。

午前中は野馬追に使用する、和鞍を組んでおりました。1年越しの準備となると、毎年の事ではあるが面倒である。

15日は出陣式という事で、朝7時半頃喜多方を出発、10時頃着きましたが、友人への出陣祝い、販売用DVDの依頼、兵庫より出陣の友人の出向、など1時半からの式ではあるが、けっこう忙しいものである。何と言っても着物を着て、陣袴陣羽織と着替えて、脇差軍扇を佩き、鉢巻きをキリリと心身共に侍になっていくのである。まさに2週間後は戦場に居るわけである。

出陣式とは単純な宴会ではなく、供奉章・肩章・辞令交付・出陣式となっております。

供奉章とは小高神社より頂ける、小高神社に供奉して出場していいですよと頂ける、名前の入った布切れです。肩章とは郷から頂ける、名前と階級が入った布切れである。それと郷よりの階級をあらわす、書面が頂ける、そして最後に宴会になる。

これにより公的な方はすぺてととのった。あとは当日まで手落ちのないように進めるだけである。

 

2018年07月16日

NO. 21 野馬追

7月1日軍者会が開催されました、本年度の野馬追が実質始まりました。

軍者会とは、この言葉自体聞きなれない言葉ですが、基本的には野馬追行事を組織たて、実働の幹部の集団である。それぞれの部署の係長として、責任を持ち恙なく任務を遂行する事である。

野馬追とは言ってもどのような区分と、地域に分かれているのか簡単に説明します。旧相馬領は南は大熊町、北は相馬市の三社五郷と呼ばれ、広い範囲になっております・私の場合は小高神社に供奉する、小高郷になります。当小高郷は15日に出陣式を行います。ちなみに本日は和鞍の四方手の交換と、切付の修理を行い、鞍の組み立てをしました。本年は先の25年に初陣を果たした、兵庫県は加古川の友人が本年二度目の出陣にあたり、無事凱旋出来るよう準備を進めております。馬の方は例年道理、岩手県は遠野よりもって来ます。私共の野馬追出場に当たり馬方は基より、馬を運ぶ運転手、道具を運ぶ家族、駐車場を貸してくれる友人、沢山の人に世話になります。これより準備を進め無事凱旋出来るよう頑張ります。

 

2018年07月08日

NO, 20 さぼっていました

早いもので、先のブログから半年以上経ちました。いざ書き込みしようと思いながら、ページを開き段取りするまでの方法がすっかり忘れてしまいました。
今年の夏は空梅雨でサッパリ雨が降りません、温度はどんどん上がり、会津特有の暑さでしょうか、死にそうです。こんなに雨が欲しいと言う物も、本年度から家庭菜園を始めました。元々オヤジがやっていた事ですか゛、オヤジも90才を超えると、すっかり出来なくなりました。ただ春になると畑をやると決まったように口にはするが、サッパリ畑になりません。
避難生活ではありますが、大家さんの計らいで畑を作っていましたが、昨年までは高台で、自転車では大変でした。しかも耄碌したせいか、昨年はネギ以外はほとんど収穫できませんでした。本年からは近くに畑を借りる事が出来、歩いて行く事が出来ます。本年は私の段取りでゴールデンウイークより始めました、ようやく収穫できるようになりました。

2018年07月06日

NO. 19 小正月です

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避難生活も早7年がたとうとしています。もし事故が無ければ、十四日より小正月を迎え、小高区南小高と言って、町の鎮守貴船神社で火伏祭が行われていた。私も神楽保存会として、獅子舞をしていたわけだ。神輿を繰り出し町内の、家内安全を祈願して練り歩くものだ。今回避難先で賽ノ神と言って、小正月の行事に行ってきました。雪の降る前に、田んぼの中に柱を立て、周りに藁束やススキでかこった塚を作り、準備してその日を迎える。会社がある稲田の行事で、若者会の主催のようである。鎮守から会場まで、手作りの灯ろうに導かれ、田んぼ中へとつづく、厄年の人と八方ふさがりの人によって点火された。持ち寄ったもちなどを焼いて、家内安全、無病息災を願っていた。地方によってはどんと祭と言う物かもしれません。会場ではお神酒がふるまわれ、さらにはトン汁甘酒、玉こんにゃくジュウスなどもふるまわれた。全国でも揚々の行事が行われるようだ。

2018年01月15日

NO. 18 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

旧年中は何かと大変お世話になりました。本年もよろしくお願いします。

平成30年の輝かしく明けました、例年のごとく野馬追人として、小高神社における礼螺奉納である。

式は8時からである、避難先喜多方からとなると、4時半に起床し5時に出なければならない。実際の出発は10分頃となったが、道路には雪もなく幸いであった。猪苗代を抜けトンネルを過ぎ、磐梯熱海に入ると夜明けが近づき、周りが白けてくる。運転をしながらどこで、初日を見られるかが楽しみである。中通りからは山からの日の出となるので、いる場所により時間が異なるが、八木沢峠で素晴らしい日の出を迎えることが出来た。小高神社の人出は少ないが、生まれ育ったこの地は、素晴らしく住みやすい土地であった。2日は会津坂下町の心清水八幡宮へ参拝して参りました。元日二日と穏やかな正月を迎えることが出来ました。そして二日夜より雪となり、三日は大雪となってしまった。これが会津地方の冬である。

2018年01月04日

NO. 17 京都研修旅行

しばらくぶりです、ここの所忙しくブログさぼっていました。12日から14日まで京都、奈良研修に行ってまえりました。今回私が所属する団体、漆とデザインの研究会の本年度行事として、8人が参加しました。本年度で5回めになります、出発は12日午前0時とハードなスタートでしたが、予定道理9時頃三年坂美術館近郊の駐車場へ到着、さっそくのコーヒータイム、観光地とあって観光客でごったがいしているも、何とも落ち着くものである。美術館は10時からの見学の予定で、少々時間があり清水寺の参道の散策へ、どこへ行っても、どこお見てもおのぼりさん状態です。先ずは三年坂美術館の拝観、展示物はすべて美術館の所有する物だそうです。
つづく

2017年11月19日

NO. 16 釣り

先日23・24日新潟県村上市岩船、笹川流れ方面へ釣行してきました。

1年ぶりです、昨年もこの時期来ていました。

村上市は毎年と思われますが、トライアスロン大会が行われているようです。

23日9時半ころ喜多方を出発し、大峠越え山形周りで昼過ぎ到着、釣具店によりえさと氷を買い、港に着く。なんとなく情報の収集をして、釣り座に着く。なんとなく去年と違う、釣り人が少ないように感じる。外海に通じるゲイトにはバラ線が巻かれ、どこの海にも見られる光景ではあるが、いかがな物かと思う所である。自分なりの釣りではあるが、去年何万匹とも思われた、マイワシの群れ、肩の良いアジとか姿がない。それでも夜8時頃まで楽しんだ。本来ならばあちこち港内を探ったあと、早朝港内で探るものですが、今回は笹川流れ方面へ移動して朝を待つことにした。早々就寝していると2時頃より大粒の雨が降ってきて、一時はどうなるものかと思いましたが、雨はやみ早朝から晴れましたが、海上は幾分ざわついている。釣り人のほとんどエギングである。ほとんどの人はトライアスロンによる交通規制前に、釣り場を離れていった。最初に磯場にはいり、磯物をねらったがふぐの攻防には勝てなかった。早々に港側に移りサビキ釣りに切り替えと、投げ釣りの二本立てに切り替え、豆アジでわあるがソコソコの釣果である。その豆アジを餌にした沖竿に、とんでもない物が掛かってきました。53センチのマゴチが掛かってきました。あれだけの小魚がいるという事は、下にはさらに大きな魚が居ると言うことですね、まずまずの釣行でした。渓流も先日30日で今シーズンは終わりました、11月になると檜原湖でわかさぎが解禁になります。

2017年10月02日

NO. 15 そば祭り

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9日予てより予定していました、娘の自宅にて友人を招いてもてなすというものです。

雄国の友人よりそば粉3キロ分けていただき、持っていきました。

そば道具は一式持っていまして、そばのし板は基より、自社開発の折り畳みそば台、そば鉢その他こまごま、盛り付け器等、更にはIH用の大きな鍋を用意しました。

娘友人たちは庭にテントを張ったり、テーブル椅子などを持ち寄り、手料理なども沢山持ち寄りしていたようです。お陰様で喜んでいただいたようです。今回の招待者は幼稚園の友人のようです。

2017年09月13日

NO. 14 9月に入りました

早いもので9月に入りました。会津にきて7年目の秋です、本年は梅雨明けのない夏になりました。

8月に南相馬市に行くたびに霧雨でした、会津はと言うと晴れ間は有りますが、朝に晩に大雨が降る日が多く、もう雨は要らぬ毎日でした。当社の工場内の資材置き場にも、水が入り込む被害が頻繁に起きました。9月に入り一気に涼しくなり、毛布を掛けるようになり、扇風機はしばし休憩しています。

本日雄国沼に行ってきました。今まではニッコウキスゲが満開の初夏、シャトルバスで行くのが恒例でした。まして9月に行くのは初めてです。道路が狭い為軽トラックで行きました、案の定頂上まで3台の車とすれ違いました、当然ながらぎりぎまで寄せてようやくすれ違い、ようやく展望台、車は10台ほどありました。半袖は寒かった。気の利いた人はちゃんと長袖と薄手のジャンパーを着ているではないか、当然だ。せっかくだから階段から湖畔に降りていきました。途中1人のひととすれ違いましたがあの車の人たちはどこへ行ったんでしょうか。木道を渡り半周程で戻って来ましたが、木道下に二匹の真鯉がいた、大きさは40センチほどは有るでしょう。先ほど降りてきた階段ですが、戻るとなると気合が入ります。数えながら上がって来ました、丁度480段ありました、さすがにきつかった。周りはどことなく秋めいている、くもが無ければ最高です。帰りは塩川方面に下りました。

2017年09月03日

NO. 13 お盆休み

野馬追も終わり、あっという間にお盆でした。

今年のお盆休みは、11日より16日まで6日間としました。

初日の11日は南相馬への墓参りと、野馬追お礼と、タンスの納品、そしてお客様との打ち合わせ、1日で回るのにはかなりハードな予定である。

喜多方を6時40分出発し、鹿島に9時10分頃着きました。先ずは松野家両親の墓を御参りしました。それから原町へ入り、野馬追で駐車場などでお世話になった、お宅を3件ほどお礼に行きました。

更に11時からは小高のお客様との打ち合わせ、正午にはタンスの納品があるので、コンビニで弁当を買う。納品後、母代寺の浄国寺へまわり塔婆受け、ようやく我が家のお墓参り、そして小屋木、大井と三か所お参りしました。

そうだ、コメを下すのを忘れていた。喜多方のコメはうまい、という事で友人より頼まれていた物だ。

更に叔父の新盆に原町へともどり、線香を上げさせていただいた。

お盆中なので街を移動すると、久しい人に良く会えるものだ。

今晩は娘夫婦の家である、いわき市へ向かった。8時頃孫のいるいわきに着いた、長い一日が終わった。明日は浪江のお客様とのうちあわせが入っている。又来なくてはいけない。避難生活は不便なものだ。

 

2017年08月17日

NO.12 野馬追

28日の墓前祭より本日までの4日間、無事野馬追が終わりました。

本年度の野馬追は雨が降ると、誰もが思っていたに違いない。

私の予想はくもりであっても、降らないと決めていた。

案の定降らないところか、晴れてしまった。これは相馬三社の妙見様のご加護と思っています。

過去に於いてまともに降られた記憶が無い。これも始祖とする、平将門の力であろう。

本年度は震災後7年ぶりに、小高神社より馬での出陣になった。

馬上からの見る町民の姿は、震災前までとはいかないが、とても明るい希望につながると確信する。

私も一年ぶりの乗馬とあって、ひざが着いてきたころは、野馬追もおわってしまった。

何よりも無事終わった事は、ホッとしております。

2017年07月31日

NO・11 野馬追

22日土曜日朝から野馬追の準備、まずは馬具からである。

毎年の事ではあるが、なかなか面倒である。

鞍ときり付け、肌当て、四方手、異常なし。最近は息子に用意使用していた物を使っている。

なぜなら、自分用は30年ほど使用している為、傷んでいる。寝かせておくのはもったいない。

鞍に胸がいを付けて、腹帯の上掛けと馬繊を付けた。更に面がいの組み立て、これがなかなか面倒である。まずは轡に立ち聞をつける。その輪に面がいの紱をとうし組み立てる。更に手綱を着ける。私は古式に乘った方法で止めている。泥障に紐を通し、馬巾と尾袋腹帯と、毛布鐙と予備の道具、きりがない。当日は無かったでは済まされない。今まで以上の心がけが必要だ。

鎧も着付けと供に、各部所の確認と修繕、さらしと、鎧下下着袴、鎧は鎧櫃に、きものは段ボール、いつもながら相当量になる。

今日は草鞋を切り緒で整えた。

2017年07月25日

NO.10 野馬追

9日小高郷出陣式がありました。

出陣式には正装で臨みます。

正装とは紋付陣袴に、陣羽織に鉢巻き、武者足袋に草履姿を言います。

出陣式とは出陣にあたり、郷より出場者の名前の入った肩章をもらい、小高神社より供奉章をいただき、参加資格を得る事であります。

更には祝宴が行はれ、各関係者も招待され、行事内容の確認などもおこなわれる。

野馬追には3つの神社と、5つの郷があり、それぞれの郷でこのような宴が行なわれている。

更にはその家、その家族一族でも、武運長久と無事なる凱旋を願い祝宴が行われる。

日々の生活にあっては、乗馬の訓練、馬具甲冑の手入れは固より、仕事や生活の中にも慎ましいものがある。

これより毎週出陣の御呼ばれや、打ち合わせが行われ出陣となる。

つづく

2017年07月12日

NO.9 野馬追です

7月に入りました。

いよいよ野馬追です。

野馬追とは大変な事だ、本年出場すると31年目になる。

野馬追とはすべて自己責任で、馬の手配、道具の準備、駐車場、世話人の手配までとまだまだある。

先ずは本年度の宿泊場所だ。本年度は親戚の空き家を借りる事が出来た。

空き家とはいっても震災で避難している為、住んでいないだけである。

軍者会前日1日原町へ行きました。目的は駐車場の確保です。

震災後我々被災者は、とてつもない程の無理難題をクリアしないと野馬追にはならない。

以前はいつも世話になっている厩舎へ馬の手配をし、自宅では道具の準備をし、全てが例年道理、家族に世話になり、当たり前のように野馬追がやってきた。

震災後は、祭場地近郊の大きな空き地は、作業員宿泊になり駐車場確保はむずかしい。

本年は新築新居に移った知人を訪ねた所、祭場地近くの自宅でありました。

更に隣の家が知り合いの家で、とんとんと駐車場が決まった。これでやっと眠れます。

つづく

2017年07月05日

NO.8 郡山ハイテクプラザ行ってきました

本日会津若松ハイテクプラザ内で活動し、職員より指導受けながら、勉強会を進めている団体の研修で、郡山ハイテクプラザへ行ってきました。福島県の技術革新には欠かせない、技術支援の中心となる所です。所属団体は、漆とデザインの研究会と称し、本年度より会長に就任しました。

今回の研修は、3D プリンター活用してん物作りがティマです。レーザーを使い物体の測定をする方法と、物体をレントゲンによるCTスキャンする方法を学び、更にはデイターを作り、プリンターで物体を成型するという所を、研修してきました。

2017年06月22日

NO.7 放送ありがとうございました

先日12日無事放送が終わりました。放送時間までいつもならとっくに寝ている両親が、今か今かと待っていました。放送時間は7分程でしたが、ドラマチックな編集内容でした。

喜多方の方々には見ていただけるよう、メールを入れてはいましたが、申し訳無かった事は、放送内に喜多方という言葉がなかった事を、喜多方市民に申し訳なく思っています。

事前に多くの知り合い、当社のお客様へメールを入れておきました。放送直後沢山のメールを頂きました。そのいちぶを紹介します。

 

・ こんばんは、拝見しました。我が家のタンスも板倉さんの温かいお気持ちで直して頂いたのです   ね。大事に両親に感謝して使います。

 

・ 板倉様素晴らしいドラマでした。なんと立派なお考えと技術をお持ちなんでしょうと心から思いま  した。感動です。有り難うございました。

 

・ 家具にも命があり、生きているのがわかりました。丁寧に直して頂いたのがわかります。ありがと  うございました。

 

2017年06月13日

NO.6 会津三島町 工人まつり行ってきました

6月10~11日と工人まつり行ってきました。

毎年楽しみにしていました。事前の電話で駐車場用意しておくよと、地元からの連絡もあり、颯爽と出てゆきました。初日の10日10時半頃着き、早々いざ会場にと進むと、沢山の方が来ていました。

又参加工房の出店方々の中には、多くの知り合いがおりました。

今回は大事な一つの目的がありました。それは小高の残された工場を、店舗として再建することで、

必要とされるカウンター材の購入でした。会場には売約の札を張られた木材がいくつか有りました。

私もこれから作る店のイメージから、ふさわしい材料として、3メーターほどの丁度良い材料を購入しました。材質は栃ノ木です。

メーン会場てなる雑木林には、ほど良く手入れされ100店以上のテントが張られ、工人にふさわしい本来のつる細工はもとより、木工品、陶芸、漆芸、金工芸、ガラス細工、衣類など見て歩くのも楽しいものです。私は曲げわっぱの漆仕上げの弁当箱と、ガラス細工の首飾りを買いました。

参加工房も全国からですが、見に来る方も全国と、こんな山間の小さな町ではあるが、全国誇れる素晴らしい、イベントだと思います。

2017年06月11日

NO.5

ありがとうございました。

5月19日ボランテアの方3人に来ていただきました。

今回は家具の持ち出しと、コンテナへの運搬搬入をお願いしました。

コンテナの大きさは、幅2メーター、高さ2メーター、長さ4.2メーター位

1台は家財道具を、もう一台は家具専用に用意していました。

家具を入れた時は低い屋根伝いに二階へと入れていました。

いざ降ろそうとすると、地震により上げた時の屋根は、傾いていたため利用できません。

今回は二階の窓より、帯ロープを使い窓下に置いた軽トラックへと、一つ一つ丁寧に慎重に降ろしました。関東からのボランテアの方は、友人同士の息の合った3人の方でした。

運び出した家具の中には、曽ばあちゃんと、ばあちゃんと、母のタンス、そして私ら夫婦のタンスと、茶タンス、食器棚、座卓、食堂テーブル椅子、長持ちなど、捨ててはいけない物だと思っております。

ほとんどが私の作った家具です。コンテナの中へは丁度ピッタリと入りましたが、入りきれない家具も残りました。解体が始まってから持ち出した物もありました。母の鏡台でした。布団に入っても毎日のように気になり、もし残っていたらと思い調べたら、鏡の部分だけが残っておりました。避難先へ持ち帰ったら喜んでくれると思いました。

現在解体の方は、風呂場が解体されたようです。解体は1ヶ月程かかると思われます。

2017年06月05日

NO.4

当社の前身は織物の機械を作る、織機大工だったようです。

創業者板倉ハシメは、関東大震災には建築の為、東京へ行っていたようです。

現在取り壊ししている自宅下土中には、現在でも腐らずにいる鉋屑が、沢山埋まっているようです。

今回持ち出した物の中には、当時使われていた道具類や、当時加工された木製の歯車、刳り物を作った

ろくろと、沢山のノミが出てきました。

その他にも、私の祖母ヤイが使用していたと思われる、糸ソウコウを作っていたと思われる、木組みの道具や、膠の湯煎道具と膠も出てきました。

小高町の織物工場は、最盛期には五十数件の工場があったようです。

現代までの父の仕事は、記憶をたどれば飛を飛ばすステッキの加工や、飛定規の削り直し、歯車の交換、ロールの制作などの仕事のようでした。

改めて考えて見れば、これらの仕事をしていた父の時代は、貧しいかったのかと思います。

2017年06月02日

NO.3

お世話になりました。

13日会津若松市より、私が所属する漆とデザインの研究会会員方々12名が,工場二階倉庫の片づけに来ていただきました。今回は在庫品の持ちかいりして頂く事が前提でした。

在庫材の中には、ほとんど流通していない、紫檀材を中心に、ケヤキ材の銘木、その他珍しい材料がほとんどです。

倉庫には棚等もあり、解体作業もしていただきました。

残った残材は、さらに残す物と捨てるものに振り分けし、整理しました。

 

 

2017年05月31日

NO2

自宅解体で行って参りました。

23日火曜日小高に入りました。

火曜日から土曜日までの5日間となり、震災後最長滞在記録を更新しました。

12時より解体が無事終えるよう、神主様を頼んで、長年世話になった神棚の前で、お祓いをしていただきました。

遡れば、3月より毎週のように自宅に戻り、少しづつは整理はしていましたが、75坪の屋敷と、27坪の工場倉庫は、一人で片付けはあまりにも過酷であった。

ある程度片付けた、4月のある日、父を連れての帰宅となった。90歳になった父は、震災後二度目となる帰宅でした。

4月29日土曜日、予ねてお願いしておいたボランテアの方々10人により、軽トラック10台分の家財道具を野外へ持ち出した。

以前に取り分けしておいたもの以外は、金額の価値を考えることも無く、ボランテアの方々の問い合わせ以外は、もくもくと片付けをしていただいた。

母の着物が沢山ありましたが、母からは全部捨てていいと承諾は居ていました。着物の一部は、深さ30センチほどの衣装箱詰め、持って行っていただきました。

5月10日よりコンテナ設置の為帰郷。業者さんの協力により11日午前に、無事2台設置出来ました。

12~13日と家財道具を運びだし、なんとか終える事が出来ました。

 

 

2017年05月28日

No.1

おかげ様でようやく立ち上げることが出来ました。

時間の許す限り書き込みたいと思います。

震災より6年がたち、何かが前に進んでいるとは思いますが、まったく止まったままの、

世界もあります。

当社は震災翌年7月に、喜多方市へ工場を移し、とにかく普通の生活の中にこそ、真実を見え出せると信じ、まい進してまいりました。

これ一重に会津地方の、企業及び各種団体と、皆々様にお世話になり、現在に至っております。

今頃ですがようやくですが、自宅の整理が終わり、自宅の解体へとこぎ着けました。

これまで郁恵のボランテアの方々にお世話になりました。

有難うございました。

 

2017年05月22日