NO. 28 お礼申し上げます。

このブログの一回目の投稿は、一昨年の5月17日でした。社長である私こと、板倉好幸が投稿しております。

昨年忘年会に於いて、会員仲間より私が投稿しているブログの話が有りました。正直このブログを、誰かが見てくれているとは思っておりましたが、見てくれていた本人よりの話に、もう少し頑張って書こうかなと、励まされました。つい誰が見ているかわからないブログに、言葉を選びながら、当たり障りなく書いてまいりました。インターネットが復旧してきた、だいぶ前に皆が見ている物に、投稿していた事があります。恐ろしい事に投稿すると直ぐに、沢山の書き込みがかえってきます。今でもキーボード入力が大変苦手なので、とても着いていけません。元もと仕事を終えて、ご飯を食べくつろいでいると、つい眠ってしまい不規則な生活ではありました。今でもこの季節コタツに入り、横になっていると眠ってしまいます。

震災から7年と10ヶ月になろうとしています、普段の生活では、ほとんど震災や原発事故には触れないようにしていました。年が明け、配達された年賀状を見ておりますと、その中に避難所生活で世話になった方よりの、年賀状を拝見させていただきました。

私どもは一族13人での避難でありました。80過ぎの両親と、2歳半の息子連れの長女夫婦と、臨月の二女娘夫婦と、家内の母親と長男、避難所の体育館では避難後まもなく、赤十字奉仕団の炊き出しにより、暖かい食事をいただくことが出来ました。体育館には京都府よりの、職員の派遣があり、一週間事に新しい職員の方が来ておりました。

私はこんな時だからこそ、震災後の正月には年賀状を出しました。その中に京都府よりお世話になった幾人に賀状を出しております。紙面にテレビドキュメント録画のホームページを見てますと、ありがたい事です。会津では震災一か月後と、11月5日に女の子の孫が生まれております。その子たちは小学校の一年なり、春には2年生になろうとしております。